研究領域の現状 137
計算分子科学研究部門
岡 崎 進(教授) (2001 年 10 月 1 日〜 2008 年 3 月 31 日)
*)
A -1) 専門領域:計算化学,理論化学,計算機シミュレーション
A -2) 研究課題:
a) 溶液中における溶質分子振動量子動力学の計算機シミュレーション b) 溶液中におけるプロトン移動の量子動力学
c) 水溶液中における両親媒性溶質分子の自己集合体生成
A -3) 研究活動の概略と主な成果
a) 分子振動ポピュレーション緩和や振動状態間デコヒーレンスなど,溶液中における溶質の量子動力学を取り扱うこと のできる計算機シミュレーション手法の開発を進めている。これまですでに,調和振動子浴近似に従った経路積分 影響汎関数理論に基づいた方法論や,注目している溶質の量子系に対しては時間依存のシュレディンガー方程式を 解きながらも溶媒の自由度に対しては古典的なニュートンの運動方程式を仮定する量子−古典混合系近似に従った 方法論を展開してきているが,これらにより,溶液中における量子系の非断熱な時間発展を一定の近似の下で解析 することが可能となった。今年度は特に,溶質の状態間のエンタングルメントを解析し得る方法論を確立すべく定式 化を行い,数値計算プログラムの開発を行った。
b) 量子−古典混合系近似に基づいて,水溶液中における分子内プロトン移動の量子動力学シミュレーションによる検 討を進めている。状態間デコヒーレンスの速い系を有効に記述し得るサーフィスホッピングの枠組みの中で,シミュ レーションに用いられる運動方程式に関して,前年の透熱表示に引き続き,今年度は断熱表示による書き下し等方法 論の確立に努めた。モデル系に対する予備的な計算では,振動励起に端を発する熱的な活性化過程を経るプロセスと, トンネリングによるプロセスとが系の条件に応じて自然に生じるシミュレーションを実現している。これにより,プ ロトンの移動と溶媒分子の運動との相関など,移動機構についての動的解析が可能となる。今年度は,分子内プロ トン移動と分子間プロトン移動の2つの代表的な実在系について検討を開始した。
c) ミセルや二重層膜に代表されるような水溶液中における両親媒性溶質分子の集団的な自発的構造形成に対するシ ミュレーション手法を確立することを目的として,自由エネルギー計算を含めた大規模 M D 計算を行っている。これ までに,特に大規模な M D 計算を効率よく実行することを可能とするため,原子数にして百万個オーダーの計算が 可能な高並列汎用 M D 計算プログラムの開発を行ってきた。今年度は特に,両親媒性分子が水溶液中に生成する球 状ミセルに対して熱力学的積分法に基づいたシミュレーションを行い,ミセルの疎水核中への分子の取り込みについ て検討を継続して行った。また,コレステロールを含む脂質二重層膜に対する M D 計算を行い,NM R 実験との関係 においてプロトンの関わる結合の回転の相関関数を求めるとともに,実際の細胞膜組成における計算を開始した。
B -1) 学術論文
A. YAMADA and S. OKAZAKI, “A Quantum Equation of Motion for Chemical Reaction Systems on an Adiabatic Double- Well Potential Surface in Solution Based on the Framework of Mixed Quantum-Classical Molecular Dynamics,” J. Chem. Phys. 128, 044507 (8 pages) (2008).
138 研究領域の現状
I. NAKAI, Y. MATSUMOTO, N. TAKAGI and S. OKAZAKI, “Structure and Thermal Fluctuation of One-Dimensional
AgO Chains on Ag(110) Surface Studied with Density Functional Theory and Monte Carlo Simulations,” J. Chem. Phys. 129, 154709 (8 pages) (2008).
B -4) 招待講演
S. OKAZAKI, “Molecular dynamics study of micelle formation in water and solubilization of solute molecules by it,” International Symposium on Multi-scale Simulations of Biological and Soft Materials, Tokyo, June 2008.
B -7) 学会および社会的活動 学協会役員等
分子シミュレーション研究会幹事 (1998– ). 理論化学研究会世話人会委員 (2002– ). 溶液化学研究会運営委員 (2004– ).
文部科学省,学術振興会,大学共同利用機関等の委員等 日本学術振興会第 139 委員会委員 (2000– ).
学会誌編集委員
分子シミュレーション研究会「アンサンブル」, 編集委員長 (2004– ).
B -8) 大学での講義,客員
新潟大学大学院自然科学研究科 , 「特別講義」.
C ) 研究活動の課題と展望
溶液のような多自由度系において,量子化された系の動力学を計算機シミュレーションの手法に基づいて解析していくために は,少なくとも現時点においては何らかの形で新たな方法論の開発が要求される。これまでに振動緩和や量子液体について の研究を進めてきたが,これらに対しては,方法論の確立へ向けて一層の努力を続けるとともに,すでに確立してきた手法の 精度レベルで解析可能な現象や物質系に対して具体的に計算を広げていくことも重要であると考えている。また,電子状態 緩和や電子移動反応への展開も興味深い。
一方で,超臨界流体や生体系のように,古典系ではあるが複雑であり,また巨大で時定数の長い系に対しては計算の高速 化が重要となる。これには,方法論そのものの提案として実現していく美しい方向に加えて,グリッドコンピューティングなど 計算アルゴリズムの改良やさらには現実の計算機資源に対する利用効率の高度化にいたるまで様々なレベルでのステップ アップが求められる。このため,複雑な系に対する計算の実現へ向けた現実的で幅広い努力が必要であるとも考えている。
*)2008 年 4 月 1 日名古屋大学大学院工学研究科教授,分子科学研究所教授兼任